東洋医学 ・・・『 形と神 』
東洋医学には「 五志 」といって、感情と五臓には密接な関係があることを示す言葉がある。
五種の感情 ( 怒・喜・思・憂・恐 ) は、五臓 ( 肝・心・脾・肺・腎 ) と関連し
感情は五藏の機能を反映すると考えられていて、偏った感情も五藏に影響を与える
要因と捉えています。
ストレスによるイライラ( 怒 )は → 肝に影響を及ぼす。 そんなイメージですね。
そういった感情や精神活動を統括するのが、五臓では 『 心 』 とされ
その精神の営みを 『 神 』 と、東洋医学では表しています。
『 神 』 とは、形無く現象のようなもので、それ自体は目にみえないが
生命活動に影響を与えている働きの事。
勘違いされやすいと思われますが、短絡的に神様とか霊の世界とかじゃありませんよ・・・。
また、東洋医学をどうも 唯心論 的印象で捉えている方が多いように
思えてならないので、こんな記事を書いてみました。
語弊があるとは思いますが、唯心論というか、唯のオカルトか!!
気や意識でなんでも変わる。もしくはそういう期待を煽るジャンルとでもいいましょうか?
何事も突き詰めていけばそうなるのかな?と自分も思ったりするるが
それもまた東洋医学の一面性だけをみている傾向と強く感じてならない。
同業者のなかにもこういった傾向を持っている人が大勢います。
ただ疲れたのを 「 邪気を貰った 」 とか・・・
どうも何かのせいにしたい人かもしれませんね。
ちなみに唯心論とは、唯物論に対して理想主義とされ
心やその働きはあくまでも物質に還元されない、独特な性質を持っているとして
物質的存在がその存在を容認されるのは「意識」によるものとします。
したがって ' 意識 ' が存在を決定づける。 これが唯心論。
しかしながら東洋医学は、完全に 唯物論から成立してきました。
物質世界を基盤に中国医学は成り立っています。
『 形神学説 』という中医学の基礎理論があります。
ここに物質と精神の関係が述べられています。
形体が最初に有り、それに伴って精神は生じる。
形とは肉体でありこれが根本。
神とは生命の活動を表す。形体があって生命があり、生命があって精神活動は
はじめて生まれ、それに生理機能が備わる。
しかし人が形体を維持できるのも、自然界の物質を摂取( 空気・飲食 )するからで
そうでなければ生存すらできない。
そして天地 ( 物質世界 ) は、人が生まれる以前から存在し
人がいなくても存在しているものであり、その自然界の物質変化を営む働きも
『 神 』と表している。
東洋医学は生命の本質的とされる 気 ( 精 )も、物質と言い切っている訳です。
その気の変化を 「 唯物自然観 」 に基づいた立場で捉え、法則性を生み出し
疾病の予防と治療に役立てるのが東洋医学の理論体系です。
東洋医学ってこうみると深い考察だと思う反面、奥が深すぎる領域だと
あらためて感じますね。
そんな東洋医学には 「 精神活動を考察したような一節 」があります。
事物を掌握するのが 心、その心の中に留める機能を 意 という。
意を持ち続けようとすることを 志 と言い、志の実現を願うのを 思 と言う。思いを実現させようと計画するのを 慮 と言い、慮に基づいてうまく事を運ぶのが
智 と言う。 『 霊枢・本神より 』
今日はなんだかまじめな話。 詳しくはこの本がお勧めだよ
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